日米開戦から75年となる8日(ホノルル時間7日)、犠牲者を追悼する式典が米国ハワイ州・真珠湾の米海軍施設で開かれ、長岡市から磯田市長と高校生・大学生12人が参列しました。攻撃が始まった午前7時55分に合わせ約4,000人が黙とうをささげました。
磯田市長と学生の出席は、姉妹都市・ホノルル市との平和交流や、昨年の戦後70年平和交流記念事業の開催が縁で米海軍から特別に招待を受けたものです。
平和をテーマにホノルルの学生と交流する「学生平和交流プログラムinホノルル」の一環で参列した高校生・大学生12人は、長岡やホノルルで戦争と平和について学習を積み、この日に臨みました。
式典後学生は、「真珠湾が机上の勉強だけだったものが人の痛みとか感情に寄り添えるものになりました。一方で、日本人としてここにいる違和感を感じもしました」。「昨年も参加しましたが、比べると『未来志向』の言葉が多く聞かれました。75周年の特別な年からか強いその気持ちが伝わってきました」…
学生の感想を聴き、想いを共有した磯田市長は「75年の節目に、未来志向の平和への呼び掛けが強く打ち出された感動的な式典でした。長岡とホノルルの平和交流がその先導役になっていることを確信しました。今後もホノルルとの平和交流を続け、長岡から世界平和へのメッセージを発信していきたいです」と感想を述べました。
実は、配布された式次第の裏表紙には花輪提供56団体中13番目に長岡市が記載され、本文中には、真珠湾攻撃の歴史を辿る説明文の冒頭部分に長岡市が紹介されていました。
「Remember Pearl Harbor (真珠湾を忘れるな)という言葉は、今日では和解と平和を象徴する語句として私達の耳に鳴り響いている。最近、戦艦アリゾナ記念館を目の前に臨む、フォード島東部の岸辺に記念碑が建立された。日本の長岡市の市民から寄贈されたものである。それはアメリカ合衆国と日本の70年間の平和を祝い記念するためのものである」(国立公園局第二次世界大戦武勇顕彰太平洋史跡の首席歴史研究員ダニエル・マルチネスさん記述文の抜粋)。この解説は、昨年8月、長岡市がホノルル市と米海軍と共に行った平和記念事業は歴史に刻まれた証しとなるものです。(M)
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