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【米百俵プレイス(仮称)】息づく歴史

最終更新日 2020年7月1日

まちづくりの原点となった地

「米百俵プレイス(仮称)」の建設される地は、明治3年(1870)6月15日に移転開校した国漢学校の跡地という歴史的な場所です。戊辰戦争後の再興長岡藩は、学校・武場(国漢学校)、政事堂(藩の役所)、藩知事(版籍奉還後の藩主の呼称)・前藩主の住居をこの地に一体的に整備し、近代的なまちづくりの原点としました。その後、明治・大正期には市役所・銀行などが建設され、戦後には現代アートの先駆けとなった「長岡現代美術館」や商工会議所などが立地し、産業や文化の振興拠点としても発展してきました。

国漢学校と米百俵の精神

「小川當知「懐旧雑誌」挿絵」の画像
▲小川當知「懐旧雑誌」挿絵
明治初期の大手通り(左上への道が
長岡駅に至る)の様子が描かれている。
左下の建物が国漢学校

戊辰戦争に敗れた長岡藩に、見舞いとして三根山藩から米が贈られました。長岡藩大参事の小林虎三郎は“人づくりはまちづくり”と教育の大切さを説き、贈られた米を藩士に分け与えず、学校の開校資金に充てました。
そうして建設された国漢学校は、漢学以外にも洋学や医学など、世界視野の教育を実施し、士族、町人、農民の身分を問わず、子どもから大人まで幅広い世代が学ぶ場となりました。
この国漢学校の流れをくむ長岡の教育は、日本をはじめ世界の様々な分野の最前線で活躍する人材を輩出。現代へとつながる功績を数多く残しています。

互尊文庫の理念

「初代互尊文庫」の画像
▲大正7年(1918)に東坂之上町に
開館した初代互尊文庫

野本恭八郎は実業の教育こそ、郷土発展の最善の道であると構想し、産業人の修養の場として、互尊文庫(市立図書館)を市に寄付しました。法律や経営など産業分野や教養本を収集し、人生を有意義に過ごすための知識・教育を取得するために多くの市民が訪れました。
多くの産業人が集まる談話室が設置され、偶然の話し合いが長岡の産業に新しい力を与えました。
互尊文庫で生まれる新しい価値の創造が、近代都市長岡のまちづくりを支えました。

このページの担当

中心市街地整備室
TEL:0258-39-2807  FAX:0258-39-2827
メール:shigaichi-seibi@city.nagaoka.lg.jp

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