最終更新日 2025年8月1日
8月1日を迎えるにあたり、長岡空襲により亡くなられた1,489人の方々、並びに日中戦争及び太平洋戦争の戦地で亡くなられた8,996人の方々の御霊に、謹んで哀悼の意を捧げます。
昭和20年8月1日、一夜にして長岡のまちが変わり果て、多くの尊い生命を奪われ、人々に大きな傷痕を残したあの日から、80年の歳月が流れました。大切な家族や友人を一瞬にして失った、辛く悲しく、忌まわしくも決して忘れてはならない長岡空襲の惨禍から、先人たちは悲しみに暮れる間もなく立ち上がり、並々ならぬ努力によって復興を成し遂げました。昭和59年、議会議決の下、長岡市は「非核平和都市宣言」を行い、先人たちの戦災体験を次の世代に引き継ぐことを使命とし、平和を希求する歩みを進めてまいりました。
しかし、世界では戦禍が絶えず、こうしている今も、罪もない尊い命が奪われているかと思うと、大変胸が痛みます。いかなる理由があろうと、戦争はいけない、そう強く発信することは、県内唯一の大規模戦災都市であり、大きな痛みを被った長岡市の使命です。
時が経つにつれ、その戦災体験を語り継ぐことができる方は年々少なくなっており、各地で次の世代への継承が課題となっています。長岡戦災資料館では現在、7人の方が語り部として活動されていますが、空襲を経験された語り部の声は、インターネット上にあふれるどんな情報や映像よりも心に響いてきます。より多くの人びとに、この貴重な機会を通して戦争の悲惨さ、平和の尊さを感じていただきたいと思います。そのために、私たちは、若者が戦争や空襲の史実を知り、体験者の声を聞くことで「自分ごと」として捉えることができる場と機会を作っていかなくてはなりません。
長岡戦災資料館は来年、移転とともに生まれ変わります。この戦災資料館を、来館者が空襲の史実を「自分ごと」として捉える場とし、恒久平和の思いを発信する拠点として、市民の皆様とともに育ててまいる決意です。
明るい未来を子供たちに手渡せるよう、過去から学び、行動を起こすことで、必ずや進む道が光に満ちたものになると確信しています。長岡から平和のともしびを広げていくために、たゆまぬ努力を続けていくことを、戦争で亡くなられた御霊と復興に尽力された先人にお誓い申し上げ、私のあいさつといたします。
令和7年8月1日
長岡市長
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