最終更新日 2025年7月28日
8月1日を迎えるにあたり、長岡空襲で亡くなられた1,488人の方々、並びに日中戦争及び太平洋戦争の戦地で亡くなられた8,996人の方々の御霊に、謹んで哀悼の意を捧げます。
昭和20年8月1日午後10時30分、長岡のまちは一夜にして変わり果て、市街地の約8割が焼け野原となりました。かけがえのない家族や友人も、住むところも一瞬にして失った、辛く悲しく、忌まわしい日です。
この日を忘れないために、長岡市は、昭和59年「非核平和都市宣言」を行い、平成27年には「長岡市恒久平和の日」と定め、長岡空襲の記憶を後世に引き継ぐことを使命として、平和を希求する歩みを進めてまいりました。
しかし、世界では戦禍が絶えることなく続き、こうしている今も、罪もない多くの尊い命が奪われています。なぜ戦争がなくならないのか、なぜ戦争で人は死ななければならないのか、だれも答えることができません。しかし、戦争はしてはいけない、と訴え続けることが、79年前に長岡空襲で、大きな犠牲を強いられた長岡市の使命であります。
今、長岡市では多くの若者が、長岡戦災資料館や語り部による体験談から長岡空襲の史実を学んでいます。長岡青年会議所や平和団体、ボランティアなど、多くの市民の皆様のご協力にで平和事業が行われていることに、心より感謝申し上げます。
現在、進めている長岡戦災資料館移転整備事業につきましても、恒久平和の発信拠点として、市民の皆様と共に育てていく施設にしてまいります。
歴史を正しく知り、行動を起こすことで、私たちの未来は変わると確信しています。
県内唯一の大規模戦災都市である長岡から世界へ、平和の灯を拡げていくために、たゆまぬ努力を続けていくことを、戦争で亡くなられた御霊と復興に尽力された先人にお誓い申し上げ、私からのあいさつといたします。
令和6年8月1日
長岡市長
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