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寺泊町の歩みと性格

最終更新日 2016年4月1日

寺泊町

寺泊町

市町村の花 ハマナス
市町村の木 トゲナシニセアカシア



寺泊町の歩みと性格

 寺泊町は、新潟県のほぼ中央に位置し、東西は最長15㎞で南北は16kmの海岸線に面している。北は弥彦山に接し、東は信濃川を隔てて穀倉地帯が広がっている。地形は概ね南北に長く起伏が多く、最も高い地点は弥彦山の638mで、越後山脈の支脈が海岸沿いに連なっている。夢の島佐渡とは20海里で本土からの最短距離にある。
 寺泊の起りは、弘仁13年(8二に年)国分寺の尼僧法光が佐渡へ渡る者や、信濃川を渡る者のために布施屋を設け、渡し船2隻を造り、懇田40町歩をもって経常費にあて旅人を済度したのに始まると伝えられている。古くは、伊神之渡戸の浜から「泊」といい、その後「寺尾泊」と呼ばれ、鎌倉時代頃から「寺泊」となったといわれている。順徳院をはじめ歌人の藤原為兼、日野資朝、日蓮上人など多くの時の人物たちが、ここから佐渡ヶ島へ渡られている。江戸時代の寺泊は、江戸、大阪、四国などに千石船が北海道への交易に寺泊へ寄港し、海上交通の要津であった。古文書等の記録に越後米の移出港とし日に千俵の米がこの港から廻送され、北陸街道の宿場町として栄えたことが記されている。近年は、豊かな自然、海水浴場、温泉と魚、そして寺泊と佐渡を2時間で結ぶカーフェリーが就航しているなど観光の町として全国に知れ渡り、関越、北陸、磐越高速自動車道などの交通網の整備により、全国からの観光客で賑わっている。
 明治22年市町村制がしかれ、寺泊町となり、明治34年11月に北西越村、西山村、潟村、野積村を編入合併し、その後昭和32年7月5日大河津村の大部分の区域と合併して現在に至っている。

寺泊町

このページの担当

地域振興戦略部 地域振興班
TEL:0258-39-2260  FAX:0258-39-2254
メール:gnagaoka@city.nagaoka.lg.jp

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