「空」の画像
長岡空襲から73年

8月1日あの夏、
語り継ぐ平和への想い
 昭和20年の長岡空襲で、長岡市は市街地の約8割が焼け野原となり、1,486人の尊い命が奪われました。
 あの夏から73年―。今年も8月1日がやってきます。7月1日に行った追慕の集いでは殉難者をしのぶとともに、殉難者遺族の安藤恭三さんが市内の中学生や市民に体験を語りました。
【問】庶務課TEL39・2203

「長岡空襲殉難者追慕の集い」の画像
長岡空襲殉難者追慕の集いには150人が参加


両親は炎の中、私たちを待っていたのでは─
73年経た今でも気にかかっています
空襲殉難者遺族・安藤恭三さん
 私の父は、大正15年頃から紙箱製造を長岡で開業し、昭和10年頃から本町の平潟神社前の工場兼自宅で営業を始めました。ところが戦況の拡大で立ち退くことになり、私が16歳の昭和20年夏、移転先の旭町の家へ徐々に荷物を運び出していました。

昼のように燃えた夜空
 作業3日目の夜、私は2歳下の弟と、警備のため旭町の家に泊まり込んでいました。眠ろうとした途端、空襲警報で飛び起きました。8月1日、長岡空襲です。弟を叩き起こし外に出てみると、空一面が火炎に照らされて昼のよう。私たち兄弟は何も持たず、大勢の人波の中、必死に栖吉川の土手まで逃げました。
 街の方を見ると、B29の編隊がやってきて、燃え盛っている長岡の街に向かってさらに、焼夷弾を落としていきます。「もう大火災なんだから、そんなに落とさなくていいのに」、そんな風に思いました。親のいる街の中心部にはとても戻れないと諦め、東片貝の叔父さんの家へ。しかし、そこに親たちの姿はありませんでした。翌2日、新組の父の実家の人が訪ねてきてくれましたが、そちらにも親たちは来ていないとのこと。不安は募るばかりでした。

ろうそくのような真っ白な顔
 3日の朝、親戚たちと長岡の街に向かいました。見渡す限りの焼け野原で、まだ火の手があちこちで上がり、道端には逃げ遅れた人たちの焼死体が転がっています。本町の家に着くと、工場の機械が焼けただれて立っているだけで、あとは全部燃えてありません。近所の人に、家族は平潟神社に逃げたようだと聞き行ってみると、足の踏み場のないほどの焼死体で、しかも連日の猛暑に死臭が立ち込めて、息をするのも苦しいほど。その中を家族の姿を求めて懸命に探しましたが見つからず、その日は諦めて帰りました。
 4日、再び平潟神社に行くと、消防団が防空壕(ごう)から遺体を掘り出していました。その中に私の家族、4人がいました。母、弟、妹は防空壕の奥にいて、酸欠で窒息したらしく、ろうそくのように真っ白くてきれいな顔でした。触ったらとても冷たく、「ああ、やっぱり死んだのだ」と実感したことを覚えています。父は防空壕の出口付近で見つかり、上半身は焼け崩れ、下半身は埋まった状態、腹巻きやかばんの中身などから父と分かりました。遺体は境内で大勢の人とともに焼き、数日後に遺骨を引き上げに行きました。遺体の位置の見当は付けていましたが、それが家族か分からないまま無心で空き箱に収めました。
 空襲が始まった時に両親は、旭町の家に留守番に行っている私と弟が本町の家に飛んで帰ってくると信じて、待っていたと思います。そうこうするうちに時間が過ぎ、危ないからと平潟神社の防空壕を人々が追い出された後、空になったその防空壕へ、周りが火の海になってから逃げ込み亡くなったのではないか、そう推測しています。それなのに私と弟は逃げる人の波に巻き込まれ、親のいる方向とは反対のほうに行ってしまった。そのことは今でも気にかかっています。
◇                 ◇
─あれから73年、平和を想う
 空襲の後、親を失った私と弟は、叔父さんの家に3年間お世話になりました。そして昭和23年、坂之上町で紙箱の製造業を再開します。たまに不良品が出ると、お客さんに「親父さんが泣くよ」と言われ、父は仕事の信用の中に生き続けているんだと感じました。今は社員や家族など大勢の人に支えられ、好きな箱作りに励んでいます。平和で楽しく生活している姿に、両親も喜んでくれていると思います。
 8月1日は、慰霊の花火を見るため、家族に近くまで連れていってもらっています。昔は、前夜祭にも会社で参加したものです。若い人たちには戦争の悲惨さを学ぶことも大切ですが、身近な平和の大切さを考えてもらえるとうれしいですね。
 今年から前夜祭の名称が平和祭に変わったと聞きました。長岡市は8月1日を恒久平和の日として、さまざまなかたちで長岡空襲を語り継いでいます。戦争の体験者が減っていく中、空襲があった日に、市民みんなで平和の尊さを想い、伝えていくことは、私たち殉難者の家族にとってありがたいことです。私も、平和ほど尊いものはないということを実感しながら、次の世代へ、この経験と想いを引き継いでいきたいと思います。

「安藤恭三さん」の画像
空襲殉難者追慕の集いで体験談を話す安藤さん(89歳)。長岡空襲で父(44歳)、母(41歳)、弟(10歳)、妹(8歳)の4人を亡くしました




8月 平和を祈る行事
【問】庶務課TEL39・2203
1日(水)
戦災殉難者慰霊祭
【時】午前6時から 【場】平潟公園(表町1)


戦災殉難者墓前法要
【時】午前7時から 【場】昌福寺(四郎丸4)


空襲で亡くなった子どもたち・教職員と市民を追悼する集い〜2018平和祈願祭〜
【時】午前8時〜8時30分 【場】平和の森公園(本町3)


長岡市平和祈念式典
【時】午前9時〜10時 【場】アオーレ長岡

「平和祈念式典」の画像
平和祈念式典


市民におくる映画の集い アニメ映画「はだしのゲン」
【時】午前10時15分〜11時50分 【場】アオーレ長岡


ながおか平和フォーラム(要申し込み、庶務課へ)
平和の合唱、長岡空襲紙芝居の公演、広島平和記念式典派遣中学生の結団式、俳優・エッセイストの星野知子さん講演
【時】午後2時〜4時 【場】アオーレ長岡


柿川灯籠(とうろう)流し
【時】午後7時から 【場】柿川(一之橋〜追廻橋付近)


慰霊花火の打ち上げと梵鐘の打ち鳴らし
花火…午前7時、午後10時30分 梵鐘…午後10時30分

1日(水)〜3日(金)
鎮魂たむけの花
【時】午前10時〜午後5時 【場】アオーレ長岡

11日(祝)〜23日(木)
平和作品の展示
【場】まちなかキャンパス長岡
<入賞者(敬称略・順不同)>
▲作文の部…西條桜楽(にしじょうさら)(南中2年)、王韻揚(いんよう)(南中2年)、久住樹(たつき)(北辰中2年)、黒川絵美理(えみり)(岡南中3年)
▲標語の部…青木日和(ひより)(江陽中3年)、大滝直歩(なお) (旭岡中2年)、佐藤快飛(かいと)(寺泊中2年)、谷内田康生(やちだこうせい)(南中2年)
▲ポスターの部…佐藤恵理子(えりこ)(秋葉中2年)、金垣琴音(かねがきことね)(秋葉中2年)、山本梓紗(あずさ)(秋葉中3年)、福島真白(ましろ)(秋葉中1年)

18日(土)
広島平和記念式典中学生派遣報告会
【時】午後3時〜4時 【場】まちなかキャンパス長岡

31日(金)まで
長岡空襲殉難者遺影展・住宅焼失地図展
【時】午前10時〜午後4時 【場】長岡戦災資料館


長岡空襲体験証言番組
 「『証言』語り継ぎたい長岡空襲
 忘れてはいけない昭和20年8月1日の記録」

放送日=8月3日(金)午後6時から60分間
    ※再放送は8月16日(木)まで随時 
放送局=エヌ・シィ・ティ(ケーブルテレビ)


国連で長岡の平和への想いを伝えたい
8月1日平和祈念式典で非核平和都市宣言を朗読
高校生平和大使(長岡高校2年)・佐藤倫花(りんか)さん
「佐藤倫花さん」の画像  高校生平和大使になったきっかけは、これまで経験した国際交流活動から、平和のために貢献したいという想いがあったからです。
 中学1年生の時、長岡市国際交流協会の派遣プログラムでホノルル市を訪問しました。真珠湾などへ行き、戦争の悲惨さや平和の大切さを学びました。現地の方の「平和をつくるには世界に友達をつくることが大切。友達の国に何かあった時にそれを自分のことのように考えられるから」という言葉が心に残っています。戦争や平和についてもっと学び続けたいと思い、翌年から8月1日の平和祈念式典に毎回出席しています。今年は非核平和都市宣言の朗読で参加するので、多くの人に聞いてもらい、今の平和の大切さを再認識する機会になればうれしいです。
 8月28日には高校生平和大使として、核兵器廃絶と平和な世界の重要性を訴えるため、スイスの国連欧州本部を訪問します。長岡で学んだ平和への想いを世界へ発信してきたいと思います。

「ひまわり」の画像