長岡空襲から72年
長岡花火復活70年
空襲体験者長岡花火
「長岡花火」の画像 「山田文さん」の画像
 長岡空襲から2年後の昭和22年、戦争で中断していた大花火大会が復活しました。
あれから70年、「慰霊」「復興」「平和」の祈りが込められた長岡花火に、長岡空襲を生き延びた人が想うこと…。長岡戦災資料館ボランティアとして体験談を語り継ぐ山田文(ふみ)さんに、空襲体験とともにお話を聞きました。
【問】庶務課TEL39・2203

「長岡空襲の体験を聞く会」の画像
戦災資料館での「長岡空襲の体験を聞く会」(6月24日)。妹2人とともに、南中学校の生徒など100人に、当時の体験を語りました。夫から後押しされ、平成11年から空襲体験を語り継いでいます
「住み込みで働いた病院の一室で同僚と撮影」の画像
長岡花火が復活した昭和22年の3月、住み込みで働いた病院の一室で同僚と撮影。開業当初、看護師は山田さん(左)を含む長岡空襲を一緒に逃げた3人

長岡は戦場になった。
こんな悲しい思いをしてほしくない。


――昭和20年8月1日の午後10時30分、空襲が始まりました。
「私は当時17歳で、柏町にあった外科医院の新米看護師でした。8月1日は、午後からいくつか手術があってね。夜、警戒警報で病院の庭の防空壕(ごう)に避難し、『今日の警報は長いね』なんて話をしていました。すると突然、空襲警報が鳴り、宮内方面に火が上がったんです。院長の『逃げれ!』の大きな声で患者さんと一緒に防空壕を出て、人混みの中、悠久山を目指して逃げました。町の方は真っ赤に焼け、空は黒く星一つ見えませんでした。
 3日の朝、救護所になっていた国民学校(現・阪之上小学校)に手当てのために向かいました。全身やけどの人、手足から血がにじみ出ている人、瀕死(ひんし)の人、悲鳴やうめき声にあふれ、本当に地獄を見るようでした。今にも死にそうな人が包帯一つもままならず、手当てできなくてそのままにされていました。
 病院があった所に戻ると、すっかり焼け野原でした。1日の晩に手術をした人が、桜の木の下で、木と見分けがつかないくらい真っ黒くなって亡くなっていたことに声も出ませんでした。その日のうちに四郎丸の家に帰りましたが、家は焼けてなくなっていて、ぼうぜんと立ち尽くしました。
 長岡は戦場になったんです。兵隊が行ったところだけでなく、私たちも戦場の中にいたんだと思いました。
 空襲の2年後から、旭町にできた新しい診療所に住み込みで働きました。2年経っても、空襲の治療で訪れる患者さんはたくさんいました。私の同級生の弟は、田んぼに残っていた不発弾の爆発で全身が鉄の破片だらけになり、片目を失いました。戦争はまだ終わっていないんだなぁと思う毎日でした。
 この残酷で悲しい思いは、子や孫、ひ孫に決してさせたくないし、してもらいたくありません」。


花火を見る余裕はなかった

――昭和21年に、長岡まつりの前身である長岡復興祭が開催され、翌年には、花火大会が復活しました。
「世間はお祭りで騒いでましたけど、正直、他人事でした。余裕がなかったんですね。空襲で何もかも失い、病院に住み込みで昼夜を問わず働くしかなかった。花火を見ようとも思いませんでした。
 家も失い出征で兄も失いました。生活は苦しく、とても惨めでした。本当に物がなかった。病院の同僚の中で、家を焼かれたのは私だけで。往診のときは、長靴や上着を同僚から借りていました。ある日、部屋で物が無くなったことがあって、私の荷物を調べられました。私がいないときに婦長が探せと。本当にショックで…。空襲を生き延びても、家が焼かれたことでこれほどまでに生活が変わるんだなぁって」。
――花火を見るようになったのはいつごろからですか。
「昭和40年ごろからでしょうか。世の中が変わっていったんですね。誰も空襲の話をしなくなり、物資も出回るようになって。結婚して夫婦2人で働き、少しずつ安定してきました。余裕が生まれてきて、他の人と同じように花火を楽しめるようになりました。ただ、花火の音で空襲の爆発を思い出す人がいるように、私も、花火が上がるときのヒューッという音が、焼夷弾の落ちる音に聞こえることが今でもあります。でも、家族みんなで花火を見られることに、幸せを感じます」。


慰霊の長岡花火、何十年も続いてほしい

――今年、花火大会復活70年です。
「長岡花火に込められた慰霊と平和への願いが広がっているのはとてもうれしいです。県外から来た人にももっと伝わってほしいなと思います。
 『白菊』の花火は戦災で亡くなられた方をしのぶ大切な機会です。打ち上がると、真っ白できれいだと思うし、これでみんなが少しでも、亡くなった人をしのんでくれるんじゃないかとも思います。見られなかったときも、家の中で手を合わせています。
 何十年も空襲のことを言い出せず、自分でも忘れようとしていた時代がありました。でも、絶対に忘れてはいけないということを『白菊』が思い起こさせてくれました。長岡がいいまちになっていくためにも、花火は今後、何十年も続いてほしいと思います。
 私の願いは、私たちが経験した、日本全国が戦場になるようなことには、決してなってほしくないということ。そう思います」


「白菊」に手を合わせています。
慰霊と平和への想いが、長岡花火を通じて
多くの人に伝わってほしいですね。

山田 文(ふみ)さん

「ひ孫の写真を大きく見るためスマートフォンにしたんです」と山田さん。今年で89歳、パッチワークが楽しみと言います。2人の子、4人の孫、2人のひ孫に囲まれ、「今、幸せですよ」と笑顔を見せてくれました。
「山田文さん」の画像



長岡空襲から72年
長岡花火復活70年
知ってほしい…戦争の悲惨さと平和の尊さを
【問】庶務課TEL39・2203

長岡空襲体験談を伝え続けるために
平和学習のため紙芝居を制作
 長岡空襲で1歳半の娘を失った故・七里アイさんの実話を基に制作中です。年度内に市内の小学校や図書館に配布し、小学生の平和学習に活用します。

題名=「長岡空襲 みちこのいのち」
絵=千蔵院住職・諸橋精光さん(絵本・紙芝居作家)
脚本=諸橋精光さん、今井和江さん
「作者の諸橋さん」の画像
作者の諸橋さん
炎の中を逃げる人間の極限状態を追体験し、子を想う母の愛情と、それを意に介さない戦争のむごさや悲しさを伝えたいと思っています。紙芝居は、絵や台詞で想像が広がります。聞いている仲間同士で感動を共有してほしいです。

体験者6人の語りを映像に
 空襲体験者6人の語りを記録した番組を、テレビ放映・ウェブ配信します。

【放送番組】
「証言」第一話 語り継ぎたい模擬原子爆弾投下
  忘れてはいけない昭和20年7月20日の記録
「証言」第二話 語り継ぎたい長岡空襲
  忘れてはいけない昭和20年8月1日の記録
【放送日】(放送時間は各回60分)
第一話…8月3日(木)午後5時30分から、4日(金)午前8時から、14日(月)正午から
第二話…8月3日(木)午前8時から、5日(土)午後2時
から、6日(日)午後2時から、9日(水)午前11時30分から、10日(木)午前11時30分から、15日(火)正午から
【放送局】
エヌ・シィ・ティ(ケーブルテレビ)
【ウェブ配信】
最終放送日以後、市ホームページで

8月 平和を祈る行事

1日(火)
戦災殉難者慰霊祭
 【時】午前6時から
 【場】平潟公園(表町1)
戦災殉難者墓前法要
 【時】午前7時から
 【場】昌福寺(四郎丸4)
「昨年の戦災殉難者慰霊祭」の画像
▲昨年の戦災殉難者慰霊祭
空襲で亡くなった子どもたち・教職員と市民を追 悼する集い
 〜2017平和祈願祭〜

 【時】午前8時〜8時30分  【場】平和の森公園(本町3)
長岡市平和祈念式典
 【時】午前9時〜9時50分
 【場】アオーレ長岡
市民におくる映画の集い
 アニメ映画「クロがいた夏」 【時】午前10時15分 〜11時50分 【場】アオーレ長岡
ながおか平和フォーラム(要申し込み 【申】庶務課) 
長岡空襲紙芝居「思い出の記」公演、広島平和記念式典派遣中学生の結団式、俳優・国連開発計画親善大使の紺野美沙子さん講演
 【時】午後2時〜4時 【場】アオーレ長岡
柿川灯籠(とうろう)流し
 【時】午後7時から 【場】柿川(一之橋〜追廻橋付近)
慰霊花火の打ち上げと梵鐘の打ち鳴らし
 花火…午前7時、午後10時30分
 梵鐘…午後10時30分
 
1日(火)〜3日(木)
鎮魂たむけの花
 【時】午前10時〜午後5時 【場】アオーレ長岡

11日(祝)〜23日(水)
平和作品の展示
 【場】まちなかキャンパス長岡
<入賞者(敬称略・順不同)>
▲作文の部…外山美弓(みゆ)(南中2年)、岩野雅(みやび)(越路中3年)、高橋心菜(ここな)(西中2年)、星野瑳助(さすけ)(川口中3年)、酒井結(ゆい)(栖吉中1年)
▲ポスターの部…石山恵美(めぐみ)(旭岡中3年)、佐藤恵理子(えりこ)(秋葉中1年)、金内ひなた(秋葉中2年)
▲標語の部…土田紗代子(さよこ)(南中2年)、小林望愛(のあ)(北辰中2年)、山田野乃夏(ののか)(栖吉中3年)

31日(木)まで
長岡空襲殉難者遺影展・住宅焼失地図展
 【時】午前10時〜午後4時 【場】長岡戦災資料館



65局700人のネットワークを活用
地域の見守り・防災強化へ
郵便局と連携協定
【問】政策企画課TEL39・2204

「「長岡市と長岡市内郵便局の協力に関する協定」締結式」の画像
▲「長岡市と長岡市内郵便局の協力に関する協定」締結式(7月11日)(左から)日本郵便株式会社中越北部地区統括局長・片山義行さん、中越南部地区統括局長・根立文章さん、信越支社長・三田彰子さん、磯田市長、全国代表主幹地区統括局長・青木進さん、長岡ブロック幹事局長・足立正昭さん
 長岡市と市内郵便局は7月11日、地域の見守り・防災力を強化するための協定を締結しました。
 郵便集配時などに、高齢者・障害者・子どもなどの異変や、道路の異常、不法投棄などを発見した場合、市に情報提供。市は寄せられた情報を活かして速やかな対応を図り、市民の安全確保につなげます。
 郵便局は市内に65局あり社員数は約700人。人口減少社会、特に中山間地域では、市内隅々まで構築されている郵便局のネットワークは重要な社会インフラです。緊密に連携し、安全・安心な地域づくりをさらに推進します。



「(右)トリアー市・ライベ市長」の画像(右)トリアー市・ライベ市長
「トリアー市でさらなる交流を確認」の画像
▲【上写真】
@姉妹都市締結10周年記念再調印式
A造形大学とトリアー応用科学大学の今後の交流に関する覚書署名式
BE造形大生の和太鼓演奏、地元学生との交流
C小国和紙のワークショップ
D長岡商工会議所青年部が地元企業関係者と懇談
F長岡出身のソプラノ歌手・鈴木愛美さんの公演
Gアオーレ長岡でのドイツフェストとトリアー市を中継

姉妹都市締結10周年
トリアー市でさらなる交流を確認
【問】国際交流課TEL39・2207

 昨年、姉妹都市締結10周年を迎えたドイツ・トリアー市を6月23日から4日間、磯田市長、市民らが訪問しました。
 トリアー市とはこれまで、青少年のスポーツ交流やイベント(ドイツフェスト)などを実施。25日にトリアー市庁舎で行った姉妹都市締結10周年を記念した再調印では、両市長がさらなる交流に固い握手を交わしました。
 前日には長岡造形大学と、ドイツのデザイン系大学の中でトップレベルにあるトリア
ー応用科学大学が、今後、相互訪問などで交流していくことで一致しました。
 引き続き、文化やスポーツを通じて、友好を深めていきます。

米国テキサス州フォートワース市 姉妹都市締結30周年記念市民訪問団の募集は15ページへ