東京2025デフリンピック

応援を力に初の金メダル

 聞こえない、聞こえにくいアスリートたちの世界大会・デフリンピック。100周年の記念大会が11月15日から12日間、日本で初めて開催されました。見事金メダルを獲得した3選手に、喜びの声と競技への想いをインタビューしました。
【問】福祉課 ☎ 0258-39-2343

バレーボール女子

高橋 朋伽(ほのか)さん
(写真左)

中越高校3年生。三条市在住。高校1年生の時に突然聴力を失う。得意技はジャンプサーブ。デフリンピックは初出場。

バドミントン混合団体戦

沼倉 昌明(まさあき)さん
(写真中央)

1985年生まれ。北海道小樽市出身・長岡市在住。競技・仕事・大学での研究・育児をこなす。デフリンピックは3度目の出場。

バドミントン混合団体戦

沼倉 千紘(ちひろ)さん
(写真右)

1990年生まれ。長岡市出身・在住。出産を機に埼玉から長岡へUターン。夫の昌明さんとダブルスを組む。4度目の大会出場。

― 金メダル獲得おめでとうございます!

沼倉昌 ありがとうございます。約10年間バドミントンの日本代表でプレーしてきました。その集大成となる大会で初めての金メダルを獲得できてうれしいです。
沼倉千 この大会で勝つために、2歳の長男を生んだ翌月から練習に復帰。多くの人の力を借りながら競技を続けてきました。勝てて本当によかったです。
高橋 初めての代表戦でした。緊張で周りが見えなくなる中でも得意のサーブを決められました。

自国で初開催の大会“最高の環境”で躍動

沼倉千 デフリンピックには4度出場していますが日本で戦うのは初めて。たくさんの応援を背にプレーできました。
沼倉昌 大会全体の観客数が目標の10万人を超える28万人だったと聞いています。設備や審判のみなさんも素晴らしく、最高の環境で戦うことができました。
高橋 チームの雰囲気もとても良かったです。チームのインスタグラムアカウントがあって、どの選手も元気に写っていますが、実際はもっと明るいです(笑)。ただ、試合になると熱くて一体感がすごい。家族みたいでした。

「聞こえなくてもバレーがしたい」決意があるから今がある

高橋 高校1年生の時に聴力を失いました。突然のことで本当につらかったですが、ずっと続けてきたバレーボールをやめることはできませんでした。「ここでやめたら自分じゃなくなる」そう思うくらい自分にとって大切な存在だったんです。不安や壁は感じましたが、夢の春高バレーのために「競技を続けさせてほしい」と周りの人にお願いしました。県予選の準決勝で敗れ春高バレーの夢は叶いませんでしたが、競技を続けたことで今回のメダルにつながりました。
沼倉千 私がデフリンピックを知ったのは大学1年生。もっと早く知っていればよかったなと思ったことがあります。高橋選手のように早い段階でデフリンピックに出会い、夢を持って競技する人が少しでも増えるといいなと思っています。

次のチャレンジへ若い世代が輝く活動を

沼倉昌 今、大学で聴覚障害を持つ選手の競技力向上について研究しています。デフスポーツの認知度は高まっていますが、聴覚障害に理解のある指導者の数はまだまだ少ない。デフバドミントン全体の地力向上のために、力を入れていきたいです。
沼倉千 私もこれからは若い人たちが活躍できるような活動がしたいです。先日、市内のジュニアバドミントン選手を指導しました。厳しいコースにシャトルが飛んでも拾おうとする選手が多くて、粘り強さを感じました。
高橋 高校卒業後もバレーボールを続けます。自分の持ち味は全力プレー。それを続けて、誰かの心を動かしたり勇気を与えたりする選手になっていきたいです。