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歴史たどって史跡めぐり(石碑、銅像等)

寺泊エリア

最終更新日 2017年12月26日

船絵馬(ふなえま) 【地図

船絵馬

 江戸時代、寺泊港は日本海を航行する千石船の寄港地として賑わいました。そんな船乗り達の神仏加護を願って始まったのが白山様信仰です。乗船の海上安全、航海の無事を祈って船絵馬奉納が盛んに行われました。
 白山媛神社に奉納されているこの船絵馬は、時代、数量や内容からみて、北前船造船史及び航海史研究などの貴重な民俗資料として、昭和45年に国の重要民俗文化財に指定されています。現存する船絵馬は50種類52枚。破損や盗難から守るため、収蔵庫を建設し、保存にあたっています。

初君の歌碑(はつぎみのかひ) 【地図

初君の歌碑

 愛宕神社境内の小高い丘に、一基の歌碑が建っています。この歌碑が寺泊の遊女初君の歌碑です。佐渡配流となった中納言藤原為兼との別れを惜しんで詠んだ歌で、後年、為兼は許されて都に戻り、勅選の「玉葉和歌集」の中にこの歌を収め有名になりました。
「もの思いこしじの浦の しら浪も たちかへるならひ ありとこそきけ」

本間精一郎誕生の地 【地図

本間精一郎誕生の地

 勤王の志士として知られる本間精一郎。その本間精一郎が、青雲の志を抱いて「雲なき真澄の月の心もてあわれ雲井に名を照さばや」の一首を壁に書き残して郷里をあとにしたのが20歳の時でした。安政5年(1858)まで江戸におり、幕府の要人川路聖謨につかえました。しかし、勤王の志士として京都に移り、いつしか尊攘派浪士の中心的存在となっていったのです。が、文久2年(1862)兇刃にたおれて死す。精一郎、29歳の時でした。

八百比丘尼の老松 【地図

八百比丘尼の老松

 全国に点在する八百比丘尼伝説ですが、寺泊にも同じような八百比丘尼伝説が残っています。
 野積の旧家高津家は八百比丘尼の生家と伝えられ、屋敷の前庭には、人の世の無常をはかなんで、自らの生命を絶った八百比丘尼ゆかりの老松が大切に保存されています。

立岩 【地図

立岩

 その昔、海の中にあったものが信濃川の堆積作用によって陸上のものになったと伝えられる枕状溶岩です。野積海水浴場のシンボルとして、ドライバーの恰好の目印になっています。

硯水の霊井(すずりみずのれいせい)【地図

硯水の霊井

 佐渡へ配流される日蓮が、船を待ちつつ説法したと伝えられる「北国最初の霊地」です。ここに7日間滞在された時、上総国(千葉県)中山の弟子日常宛に有名な「寺泊御書」を書きましたが、その時用いられた硯水はこの霊井で、今も真夏にもかれず、冷たく澄みきった水がこんこんと湧き出ています。また、昭和39年には日蓮上人獅子吼の説法銅像が建立され「我日本の柱とならむ」と願った、日蓮上人三大大誓願を今日に伝えています。

このページの担当

寺泊支所産業建設課
TEL:0258-75-3105
メール:tr-sangyo@city.nagaoka.lg.jp

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