良寛は、文政9年(1826年)初冬、良寛69歳の時、国上山麓の乙子(おとこ)神社側の草庵から、島崎の木村家の庵室に身を寄せました。
島崎では、里人に禅師と仰がれ「良寛さん」と親しまれるなどたくさんの人々との交流がありました。
また、この頃、若く教養のある尼僧貞心(ていしん)とこの地で出会い、和歌を通じて純粋なこころの交流を重ねました。
天保2年(1831年)1月6日、弟山本由之(ゆうし)などの身内の人、遍澄(へんちょう)や貞心尼など法弟、木村家の人たちなどに見守られながら遷化されました。
和島地域には、良寛と弟由之のお墓がある木村家の菩提寺「隆泉寺(りゅうせんじ)」や神社の境内の林に冷を求めた時に詠まれた詩歌碑のある「宇奈具志(うなぐし)神社」などのゆかりの史跡のほか、良寛が各地で詠まれた詩歌(和歌)は、歌碑建立により保存され、当時の趣を伝えています。
1.良寛禅師遷化碑 4.たくはつ良寛像 7.わがやど歌碑 10.良寛と貞心尼対面の像 13.黄老詩句碑 16.良寛立像 19.昨夜窓前詩句碑 22.ぼむのすぎたに俗謠碑 25.交友莫争碑 |
2.良寛禅師庵室跡碑 5.大蔵経碑 8.遍澄法師の墓 11.良寛座像 14.鉢の子歌碑 17.七十有余年詩碑 20.交友莫争碑 23.形見とて歌碑-物産館前 26.黒坂山歌碑 |
3.良寛禅師墓 6.出田の宮詩歌碑 9.良寛像 12.良寛さまと子供たち木像 15.子供らと遊ぶ良寛像 18.良寛貞心尼対の唱和歌碑 21.善言懺悔碑 24.椿の森歌碑 27.この宮の歌碑 |
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