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トップ > 観光 > 歴史・文化 > ゆかりの偉人・先人 > 上杉謙信のおいたち

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上杉謙信のおいたち

栃尾エリア

最終更新日 2017年4月1日

<初雪の栃尾城跡>
<初雪の栃尾城跡>
威風堂々とした堅固な山城の形態を
はっきりと見ることができます。

 上杉謙信公は享禄3(1530)年1月21日、長尾為景の子として春日山城で生まれました。母は栖吉城主長尾房景の娘です。生まれた年が庚寅だったので、干支にちなんで幼名は虎千代と名付けられ、元服して景虎といいました。永禄4年32才で関東管領上杉憲政の家を継いで上杉を名乗り、元亀元年41才で謙信と称しました。
 この時代は室町時代後半、南北朝期から戦国時代に当たります。
 そのころの越後は守護上杉家の支配するところとなり、守護代長尾氏が越後の経営にあたっていました。栃尾城主は古志長尾氏の重将が代々つとめてましたが、下克上の波がひたひたと押し寄せてくる中で、長尾為景を中心にして越後は戦乱の渦に巻き込まれ、栃尾城は新しい時代に向かってきしむ、歴史の歯車のひとつとなっていったのです。

栃尾で鍛える

栃尾で鍛える

 初めて栃尾にきた時期については諸説ありますが、門察年譜によると幼少のころ、栃尾宮沢の瑞麟寺を訪れたという説があります。
 虎千代が栃尾に預けられた理由は、当時の栖吉城主長尾十郎景信は母親の兄であり、虎千代にとっては伯父にあたる人で、長尾家の重臣本庄実乃が栃尾城主であったこと、そのほかにも親戚や知り合いが多かったこと。そして、瑞麟寺の門察和尚が名僧であったため、和尚の元で学問をすることが最大の理由と考えられます。

<瑞麟寺跡>
 瑞麟寺は上杉謙信公が幼少のころ、栃尾にいたときに学問や修行の為に通った曹洞宗のお寺といわれています。長い間、その場所が不明でしたが、大正時代に市内栃尾宮沢にあったことがわかりました。

このページの担当

栃尾支所商工観光課
TEL:0258-52-5827  FAX:0258-52-3990
メール:tco-shoukou@city.nagaoka.lg.jp

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