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近代教育を推進した人々

長岡エリア

最終更新日 2017年4月1日

鵜殿 団次郎 (うどの だんじろう)

鵜殿 団次郎

(1831年~1868年)
 江戸に出て蘭学、英学を学び、数学・測量・航海術を身につけた。
 幕府の洋学校「藩書調所」の教授となり、数学を教えた。
 晩年長岡に戻り、著作に専念した。

星野 嘉保子 (ほしの かほこ)

星野 嘉保子

(1848年~1904年)
 幼くして長岡の町医者宗詮の養女となる。
 表町学校や自宅で裁縫を教えたが、明治22年坂之上町に私立長岡女学校を設立、生涯を女子教育のために捧げた。

小金井 良精 (こがねい よしきよ)

小金井 良精

(1858年~1944年)
 解剖学、人類学の権威。
 東大に学び、ドイツに留学し、帰国後東大教授。
 アイヌの研究は高く評価されている。
 母は小林虎三郎の妹、妻は森鴎外の妹。

小西 信八 (こにし のぶはち)

小西 信八

(1854年~1938年)
 長く東京盲亜学校長を務め、また長岡の有志を説いて私立長岡盲亜学校の設立に努めた。
 その後文部省に対し、盲学校と聾学校の分離を進言し、その実現を早めた。

小野塚 喜平次 (おのづか きへいじ)

小野塚 喜平次

(1870年~1944年)
 東京帝大を卒業し、同校政治学の初代教授となる。
 昭和3年から7年間東大総長を務め、大学の自治と学問の自由を守りぬいた。
 わが国における政治学の草分け。

野本 恭八郎 (のもと きょうはちろう)

野本 恭八郎

(1852年~1936年)
 実業家。
 自分の尊さに気づき、他人も尊重して幸福な世界を築こうという互尊思想を唱え、互尊文庫を建設して市に寄付、また財団法人日本互尊社を設立した。

このページの担当

観光企画課
TEL:0258-39-2344  FAX:0258-39-3234
メール:kanko@city.nagaoka.lg.jp

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