
(1828年~1877年)
 佐久間象山に学ぶ。
 その才能が非凡で、吉田松陰と共に象門の二虎と言われた。
 病翁と名のり、戊辰戦争後大参事に推された。
 三根山藩主が送ってきた米百俵を国漢学校の設立にあて、長岡の教育の基を築いた。
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(1833年~1911年)
 江戸に遊学し、帰国後崇徳館の助教となる。
 戊辰戦争後は国漢学校、長岡小学校、長岡学校で教鞭をとる。
 渡辺廉吉・小野塚喜平次など薫陶を受けた者が多い。
 

(1845年~1891年)
 小林虎三郎の末弟。
 江戸、横浜に遊学。
 大蔵省に出仕し、力量を示した。
 長岡藩士族の子弟のため育英機関の「長岡社」を設立し、人材の養成に努めた。