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米百俵賞
長岡市は国漢学校新校舎開校の日(明治3年6月15日)にちなみ、平成8年に6月15日を米百俵デーに制定しました。
米百俵賞は、この米百俵デー制定を機に、小林虎三郎の「米百俵」の精神を受け継ぎ、人材育成に大きな成果をあげた人に贈る賞として長岡市米百俵財団が創設したものです。
毎年6月15日に「米百俵デー市民の集い」と銘打った記念式典を開催し、米百俵賞の贈呈式と講演会を行っています。
米百俵賞受賞者
○第16回米百俵賞(平成24年6月15日表彰予定)
受賞団体 シルパカラ・アカデミー劇団 (バングラデシュ)

(功 績)
シルパカラ・アカデミーは、国内外にバングラデシュの文化を発信するため、昭和49年に設立された国立芸術学院。
平成18年3月、国際交流基金の活動の一環として、日本からバングラデシュに指導者である京都「すわらじ劇園」木村進次氏が派遣されワークショップを開催、戯曲「米百俵」を紹介したことをきっかけに、ドナルド・キーン氏の英文翻訳をベンガル語に翻訳し、アカデミーのゴラム・サルワー氏が脚本・監督し舞台劇に仕立てた。シルパカラ・アカデミー劇団は、同年8月に初めて公演が行われたのを機に、芸術院に属する若者が「米百俵」を上演する劇団として特別に立ち上げられた。構成は25人。侍装束に身をつつみ、手作りした衣裳や舞台装置、ちょんまげ姿で熱演しているベンガル人、すべてが当時の長岡を彷彿とさせるものであった。
上演当初は、日本の戯曲をベンガル語の演劇で表現することに緊張しつつ、興奮して取り組んだ。指導を受けた者が後進を育てていく動きもあるなど、精進を重ねており、これが定期的に開催されていくことにつながっている。
これまで、ダッカ以外の10都市でも公演が行われ、5年間で48回、観客動員数は延べ2万4千人を超えた。
明日の国づくりを担う教育の重要性を問いかけた公演の内容は、バングラデシュの人々から共感を得ている。観劇した教師が、改めて教育の重要性を認識し熱心に授業に取り組むようになったり、また、私財を出して学校を運営している現地の人のなかには、「自分が行ってきたことに自信がもて、いつか教育を受けた若い世代が育ち、日本のようなすばらしい国になることが夢だ。」と語る人もいる。
○第15回米百俵賞(平成23年6月15日表彰)
受賞者 片桐和子さん・昭吾さん (新潟市在住)

(功 績)
ご夫妻は、平成9年の定年退職を機に、ボランティア団体・教育と環境の「爽(さわやか)」企画室を設立し、途上国の就学支援活動を始めた。県内でバザーなどを実施して寄付活動を行っていたが、平成10年、インドの国際協力NGO「ニューホープ」の代表、エリアザール・ローズ氏との出会いをきっかけに、インドのスタディツアーに参加した。
そこで夫妻が見たものは、路上や駅のホームで危険と背中合わせの生活を強いられている、親のない子どもたちの姿だった。そして「この子どもたちを何とか助けなければ」という強い思いに駆られ、行動を起こす。
平成15年、現地のローズ氏と協力しながら、ヤシの木が生い茂る広大な3万6千平方メートルの原野を確保し、丸ごと子どものための「憩いの村」の建設にとりかかった。最初に子どもたちが安心して眠れる宿泊施設、台所、食堂が完成した。
夫婦2人で協力し、無謀とも言える計画をスタートさせたが、私財はたった1年で底をついた。新潟県内の企業や友人・知人300か所に寄付を訴えたが、「なぜインドなのか」とほとんど断られる。昭吾さんは再就職した警備会社の夜勤で、和子さんは手持ちの衣類を売るなどして、お金を工面した。
その後、マスコミ等での訴えの効果もあり、全国からの寄付金も得て、自転車の修理やサンダル製造などを学ぶ職業訓練所、心がすさんでいる子どもたちを癒す瞑想センター、音楽堂、農園、バラ園、診療所、図書館などを次々に完成させた。
平成21年からは新たに、学校建設の取り組みも始めた。現在学んでいる小さな教室は、机が足りず、子どもたちは土間に座って授業を受けている。「皆の机があって、たくさんの本が並んでいる・・・そんな教室で勉強させてあげたい。」片桐さんたちの思いに、新たな寄付団体も現れ、学校建設の夢が叶うこととなった。
自身の夢とも語るこのような支援活動を、日本の未来を担う子どもたちに伝えるための活動も忘れない。長岡市国際交流センターや国際協力団体等と連携しながら、多くの子どもたちにインドのストリートチルドレンの実態を伝えている。
○第14回米百俵賞(平成22年6月15日表彰)
受賞団体 日本ネパール女性教育協会 (東京都文京区)

(功 績)
平成8年の「日本ネパール国交樹立40周年記念シンポジウム」の開催を機に「ネパールの少女の教育について考える会」が結成されて以来、数次に渡りネパール周辺部の農村地域における少女の就学事情について調査が行われた。
ネパールには義務教育がなく、学校に行ったことがない村人たちは、貧しい中で女の子には教育は必要がないという考えが根強い。村の少女は、水汲みや畑仕事などの家事一切を手伝う働き手として考えられ、就学率が極端に低い状況にある。
「学校に行ったことがないし、読み書きもできない。将来の夢なんてとてもないわ。」と話す少女らの実態に胸を痛めた代表の山下氏ほかの「考える会」のメンバーは平成15年に会を「NPO法人日本ネパール女性教育協会」に改組し、ネパールの少女の現状を何とかできないかと模索し続けた。
当会では、遠隔地域で女性教員が活躍することにより、彼女たちがロールモデルとして、少女にも教育が必要であることを村人に啓発してゆくことが効果的であると考え、教育から取り残されたり、貧しかったりする村から少女を選抜して2年間ポカラの大学で教職課程を学んでもらい、その後少なくとも3年間は自分の村で小学校の先生をしてもらうという取組「女性教員養成プロジェクト」を開始することとした。日本の師範学校制度の導入である。
また、当会では、2年間の修学にかかる費用や3年間の勤務中の給与を補助するため、日本国内に「フォスターペアレント(里親)システム」を作り、里親からの寄附の下で少女たちが勉強できる経済的環境を整えた。
平成17年在ネパール日本大使館から学生寮の建設費の一部として「草の根・人間の安全保障基金」を供与され、ポカラ・カニヤ・キャンパス(ネパールの大学)内に学生寮の建築に着手。平成18年8月に学生寮「さくら寮」が完成し、遠隔の村などを中心に募集した第1期女子学生10名が同キャンパスで教職課程の履修を開始した。現在は、4期生が入学し、3期生とともに、教職課程の履修に励んでいる。
既に2年間の履修を修了した1・2期生の20名は、それぞれの出身地で教員として地域の少女の就学率向上のため奮闘を続けており、厳しい教育条件の途上国においても、少女たち誰もが小学校教育を受けられる土壌を作るために活動している。
当会では、今後卒業生の赴任先への訪問やフォローアップ研修の実施を通じて指導助言に当り、卒業生がネパール遠隔地域の指導的立場の教員として成長できるよう支援を続けて行くこととし、10期100人の卒業生を輩出することを目指して活動している。
○第13回米百俵賞(平成21年6月15日表彰)
受賞者 バイマーヤンジンさん (大阪府吹田市在住)

(功 績)
バイマーヤンジン氏が生まれ育ったチベットには、学校のない地域も多く、また、字が読めないなどの理由で経済的な貧困に苦しむ者や、不当な扱いを受ける者も多い。
氏は国立四川音楽大学を卒業し、中国に留学していた日本人と結婚、平成6年に来日した。日本人とチベット人の外見はあまり違わず資源の乏しさも同じなのに、経済の力強さがまったく異なるのはなぜか。日本が発展した理由を考えた時、教育の大切さに思い至った。日本の技術力等の背景に教育制度とそれを育む環境があり、それが国民全体の素質を高めていることを知り、故郷に対して便利で近代的な生活道具などの支給支援よりも、教育による支援が、自立した将来のために重要であることを認識する。
氏は故郷への初等教育普及のため、平成9年にチベット学校建設推進協会を設立し、小学校建設運動を開始する。チベットで小学校を1棟建設するのにかかる費用は、500万円から800万円。在日チベット人唯一の歌手としてチベット民謡を歌う氏は、費用を捻出するため、年間200回もの講演をこなしながら、日本各地を回った。多くの人々の支援もあり、蓄えた資金を学校建設に投じる。最初の小学校ができたのは平成11年。今日まで氏の援助により、小学校9校、中学校1校が開校し、現在3,000名の子どもたちが学んでいる。
また、同時に奨学金制度も創設、チベット自治区にある三つの大学の成績優秀者45名に支給を継続している。
また、昨年、発生した四川大地震では、発災後まもなく、自らが出資した100万円を元手に救済基金を設立。堺市や広島市、仙台市など約20か所で開いたコンサートや講演会場でも寄付を募り、被害を受けた子どもたちの学費支援や倒壊校舎の修復費を援助した。
チベットの文化、チベット語の普及・保存にも力を注ぐことも忘れない。チベット語の作文集を毎月100校の小学校に贈る運動を行っている。
小泉純一郎首相が「米百俵」演説を行った日、氏は、真っ先に書店に並んで本を買い求めた。「私の実践してきた精神、そして、チベットに今、最も必要な精神とは、まさに米百俵の精神である。」いつか、チベットでの人材育成が花開くことを信じて、氏は活動を続けている。
○第12回米百俵賞(平成20年6月15日表彰)
受賞者 駿渓(するたに)トロペカイさん (茨城県つくば市在住)
(功 績)
駿渓トロペカイ氏は、低い地位にあるアフガニスタンの女性支援のため、平成14年、つくば市に「希望の学校」を設立、翌年には、アフガニスタンの首都カブールにも「希望の学校」カブール校を建設した。
昭和52年、氏は、夫の留学によって来日。その直後、ソ連軍によるアフガン侵攻が始まり、アフガニスタンでは約23年間戦火が絶えることがなかった。平成14年、25年ぶりに訪れた故郷で、氏は、破壊しつくされた建物を目の当たりにする。わずかに残っている建物も銃弾で穴だらけになっており、昔の面影は全く残っていなかった。
戦争によって多くの人々が殺されたアフガニスタンでは、成人男性の人口が極端に減少し、仕事に就く能力のない多くの戦争未亡人が残された。成人女性の識字率がわずか5%という状況の中、戦争未亡人となった女性達の多くは仕事に就くことが出来ず、物乞いで生活しなければならない状況にあった。さらに物乞いで生活する母親を助けるために、ストリートチルドレンとして働かざるを得ない子供たちの存在がある。いくら政府が義務教育化を進めても、こうした子供たちは学校に通うこともできない。子どもたちが学校へ通うためには、まず母親に教育を授け、技術を習得させ、仕事に就くチャンスを与えることが大切だと考えた氏は、「希望の学校」を設立した。
「希望の学校」は、このような女性たちの自立を助けるため、ダリ語の読み書き、計算、裁縫、服飾デザインを無料で行っている。平成18年には、幼児を抱えて勉強する母親や教師のために、託児施設が新設された。
しかし、成人後に学校に行かなければならないことを恥じる女性が多く、「希望の学校」設立後、氏はカブール市内の女性達の家を1軒1軒訪問し、彼女達を勇気づけ、「あなたには学ぶ権利がある」と伝えた。
現在、「希望の学校」では、400人の生徒が卒業し、その中には、裁縫によって家計を支える卒業生もいる。また、これまでに4名の研修生が来日し、洋裁の技術や保育について学んでいる。
特別賞受賞者 ホンジュラス国立演劇学校
演劇「米百俵」の上演を通じ、中米諸国において教育の重要性を訴えるとともに、「米百俵」の精神の普及、国際親善に貢献している。
○第11回米百俵賞(平成19年6月15日表彰)
受賞者 ルダシングワ真美さん (ルワンダ共和国キガリ在住)
(功 績)
会社勤めをしていたルダシングワ真美氏は26歳のときにスワヒリ語を学ぶためケニアのナイロビに出掛け、そこでルワンダ生まれの現在の夫ガテラさんと出会った。ガテラさんは幼い頃の病気が原因で右足が不自由だった。平成2年、日本で診断を受けて装具を付け、その技術の高さを体験した二人は義肢製作の支援活動を考えついた。こうして氏は日本で義肢装具の製造技術を習得することを決意した。
氏は義肢装具の工房に弟子入りし、5年にわたり様々な技術を学んだ。氏が工房で学んでいた平成6年、ルワンダで内戦が勃発し、100万人規模の大虐殺が起き、なたや地雷等で手足を失った人など、肉体的、精神的に障害を負った人々は人口の約1割である80万人にものぼった。
内戦終結一年後の平成8年、氏とガテラさんは手足を失った障害者のために義肢装具を製作したり義肢装具士を育成したりするため、私費を投じてムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクトを立ち上げた。
二人はボランティアへの協賛を得るため何度か日本を訪れ、人的・物的支援を人々に呼びかけ、平成9年に寄付や自らの貯金を元手に義肢製作所を設立。ルワンダ人自身による義肢製作技術者の育成、障害者のリハビリテーションと社会復帰の支援などを行った。こうした活動がルワンダ政府に認められ、約1ヘクタールの土地を譲り受け、その土地に新しい義肢製作所を設立。今では年間約250本の義肢装具を無償で提供している国内随一の施設となった。
平成12年に開催されたシドニーパラリンピックには、氏の支援で義足を手に入れた義肢製作所スタッフ(元兵士)を水泳競技に送り出し、ルワンダ初の出場となった。さらに平成14年からは遠隔地に車で出かけ「巡回診療」を始めたり、日本語やルワンダ語を学べる学校の建設をしたりと幅広い活動を展開している。氏は「私はルワンダの地で一生を過ごし、骨をうずめることになるでしょう。そうなったときに、この活動が途絶えないように次の世代につなげて行きたい」と語る。
○第10回米百俵賞(平成18年6月15日表彰)
受賞者 後藤 文雄さん (東京都武蔵野市在住)
カンボジアの子どもたちの里親となり就学させたり、現地に学校を建設するなどの活動を行っている。
○第9回米百俵賞受賞者(平成17年6月15日表彰)
受賞者 南 研子さん (東京都杉並区在住)
広大なアマゾンの熱帯雨林と野生動物保護、インディオへの支援活動を続けている。
○第8回米百俵賞(平成16年6月15日表彰)
受賞者 山之内 義一郎さん (長岡市在住)
都市部の学校の子どもたちにも身近に自然と触れ合い、豊かな感性を育んでほしいと学校の森づくり活動を支援している。
○第7回米百俵賞(平成15年6月15日表彰)
受賞者 高橋 一馬さん (千葉県市川市在住)
アフリカ・サヘル地域の砂漠化防止と住民の食糧自給を目指し、植林などの活動を続けている。
特別賞受賞者 近藤 亨さん (ネパール王国在住)
ネパールの農村の活性化と青少年育成のため農業技術の指導や学校、病院建設などを行っている。
○第6回米百俵賞(平成14年6月15日表彰)
受賞者 村上 一枝さん (東京都武蔵野市在住)
アフリカのマリ共和国で井戸の設置をしたり、識字教室を開いたりするなど、農村に暮らす人たちの生活改善を支援している。
特別賞受賞者 相馬 英夫さん (新潟市在住)
昭和62年、私塾「耕心塾」を開設。不登校等の児童・生徒を無償で受け入れ、自立のための指導を行っている。
○第5回米百俵賞(平成13年6月15日表彰)
受賞者 オーガスティン・アゾチマン・アウニさん (ガーナ国籍、長岡市在住)
「教育こそ国の財産である。」という信念に基づき、出身地であるガーナの小さな村の初等教育の充実に傾注。平成13年には小学校の新校舎が完成し、その新校舎で授業が始まった。
○第4回米百俵賞(平成12年6月15日表彰)
受賞者 秋尾晃正さん (東京都練馬区在住)
タイで最も貧しいといわれる東北地方の子どもたちの中学校進学を支援する「ダルニー奨学金」事業を続けるとともに、ラオスの子どもたちに対しても支援活動を拡大。
選考委員長特別賞受賞者 寒川 孝久さん (徳島県北島町在住)
絵の付いた点字という新しい分野を開拓し、目の不自由な子どもたちの豊かな心を育むとともに絵本の点訳者の育成に尽力。
○第3回米百俵賞(平成11年6月15日表彰)
受賞者 新潟国際ボランティアセンター(NVC) (新潟市)
「新潟からの心の輸出入」をキャッチフレーズに、ベトナムにおける小学校の建設とその運営支援をはじめとする様々なボランティア活動を通じて、国際協力・国際交流を推進。
○第2回米百俵賞(平成10年6月15日表彰)
受賞者 スタニスラヴァ・シュラムコヴァさん (チェコ国籍)
日本の武道・文化を母国・チェコ共和国に紹介し、両国の相互理解の促進に尽力。チェコ共和国・ハラデッツクラロベ市に「チェコ日本武道文化センター」の建設を進める。
○第1回米百俵賞(平成9年6月15日表彰)
受賞者 中野信隆さん (長岡市在住)
インドネシアのスラバヤ電子工学ポリテクニックの設立と教育指導に尽力するとともに、独自の育英基金制度を創設。
特別賞受賞者 浅香 恵さん (富山県小矢部市在住)
子どもたちが素直で思いやりのある人に育ってくれることを願い、『誕生日には「ありがとう」を』を著し、各地で配布。