市政のあゆみ

明治・大正期

長岡市のあゆみ
明治
39年
市制施行、市長事務取扱に秋庭半就任。初代市長に牧野忠篤就任
40年
郡立長岡高等女学校、長岡市立長岡高等女学校と校名を改称
41年
長岡商業会議所の決議で、私立女子技芸講習所生徒募集
42年
阪之上小学校内の長岡幼稚園を分け、千手小に南幼稚園、神田小に北幼稚園を設置
43年
長岡市大煙火協会を組織し、遊郭主催の煙火を市民の手に移管
44年
信濃川大洪水で、上中島などの堤防決壊
大正
元年
長岡女子技芸講習所を廃し、長岡実業女学校を設立
2年
新川の川口締切工事実施
3年
信濃川水梨村・大島村の間及び左近の西土手決壊、全市浸水、長生橋流失
4年
野口英世、長岡病院で講演
5年
令終会設立
6年
長岡開府三百年祭(主会場は追廻原)
7年
互尊文庫開館式挙行。米騒動起こる(米問屋川佐宅焼討)
8年
悠久山公園完成、竣工式挙行
9年
第1回国勢調査実施。上越北線、宮内-東小千谷開通
10年
市役所新庁舎完成、竣工式挙行
11年
長岡市朝起会発会(平潟神社)
12年
袋町埋立てに着手
13年
長岡高等工業学校開校(現新潟大学工学部)
14年
坂之上町に五・十市開設(六斎市)